選考基準

春の訪れを感じたとたんに「夏のような、、、」とはオーバーかもしれないが
冬が長かっただけに暑さが際立っているこの数日。
東北地方では自転車競技ロードレーサー日本一を決める「全日本選手権」が開催された。
長く全日本には「ちゃんとした状態」では出場していないし、それを良しとしていた自分が腹立たしくもある。そんな私は昨年から全日本は出場しないと決めた。
本来私は何か一番を決めるのならそれ相応の準備をした者が真剣に戦うべきだと思うからだ。
ま、それができてなかったというのは、周知のように、やたら自分の事をエースと思い込んでレースの形態や難易度、チームの将来的な設計を含む全体のことを考えてアシストを進んでできない選手と走っていたということもある。またレース前になると決まって調子が崩れ出しレース中何もしてくれない選手がいたり。そういった事が続くと私自身もレースをまともに走りたくなくなるし、チームにさえ貢献したいとも思わなくもなったものだ。それはつまり自分を悲劇の主人公に仕立て上げたかった自分の弱さでもある。力そのものが落ちてきていたのも事実。分相応の事をするのが一番ストレスフリーだ。
それはさておき本題。
今年は全日本選手権をオリンピック代表を掛けた最後のレースにする為に前倒しにし4月下旬に持ってきた。プロアマが統合される以前の日本選手権は時期的には似たようなもんだったような。私自身は記憶が無い。ただオリンピックイヤーと言えど他の特にヨーロッパでの選手権を6月下旬にやるからと言ってそれにあわせる必要性もないだろうし、せっかく合わせたものを元に戻す必要性も無かったように思う。単純に開催されているレースを「オリンピック選考会」と銘打つだけでも良かったようにも思う。そうなると開催主催者の問題やらそれにまつわるスポンサーの問題やら弊害も多々生まれるんだろうな。選手も大変だが開催者というのもコレまた大変だ。
選手は大変と言ったがオリンピックなどは注目度が高いだけに選手選考にも気を遣うことが多い。選手もオリンピック毎に競技界を引っ張るリーダーなんかが変わったりしてその度に選考基準が変わりそれに合わせた走りを強いられる。無難に格好つけてその場しのぎののレースをする人間はトップになれないし、かといってギャンブルレースばかりでもコンスタントな成績は出ない。実力とは無難な選手の能力か、大舞台での勝負強さか?目的とするレースが大きければ後者を選ぶのはごく当たり前のような気はする。大きなレースで何もできない選手を選ぶより、実力相応のレースをして勝てるチャンスがあればギャンブルも厭わない。そんな選手が次のステップに登れる権利を手にするのが当然ではないか?参加する選手が保身の為にコンスタントなレースを心がけるのはあって当然だろう。生活の為だ。そういう選手はコンスタントを長く続けていく事で外堀を埋め、認知度を高めていくという途方も無い作業が必要なのだ。
今年の選考でも人によっては選考結果に疑問を投げかける方もあろう。だがそれは単なる慰めでしかないし、それを唱えたからと言って基準が覆る事は無いのだから、できれば選ばれなかった選手の為、選ばれた選手の為に何も言わないことが一番なのではと思う。ちなみに私はオリンピックの枠を取ってきて選考から漏れたこともあるし、もうそろそろ選手として下り坂かなと思っていたら選ばれるという両方を味わった事のある経験を持っているからこんなことを言うのです(笑)