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激闘(前)

こんな題を付けるとあたかも自転車での戦いをイメージするが、今回のお話はもっとヒトの根源的な生命力に関わる闘いについて。また自分への備忘録として記します。
もう先月になりますが、我が家は皆が体調に優れずヨメと三男がほぼ同時に通常生活ができなくなった。
そんな状況の夜半、三男の頭痛を何とかしようと行きつけの総合病院での救急体制を病院に尋ねるヨメ。
程なく受診が確定し、こちらも食欲がなったりの四女の面倒見るためヨメは眠れるはずもないが床へ。
私が三男を救急へ連れて行き処置をしてもらう。
処置は熱を下げるための点滴で、他には処置は施しようがない。
さて、そこで入院するかどうかの選択に迫られる。
帰れば「もしも」の時の対処は確実に遅れるし、解熱効果の高い点滴すら受けれない。
出した答えは即入院。もちろん解熱すれば「子供のおたふく」は、殆どの場合取るに足らない病気の一つです。我が子の場合は症状自体は軽く、怖かったのは頭痛を伴っていたことで髄膜炎や最悪に近い場合は脳炎ということも合併症として考えられたからで、早めの受診が功を奏して今回は真夜中に受診した後、翌朝には粗方解熱していた。
そこから丸一日念のため入院して、その翌日に退院する頃にはヨメも通常生活に戻れるくらいには回復していたのだが、次なるハードルはばあちゃんだった。
ちょっと複雑になるが、我が家は祖父母世代の祖母・ばあちゃんが計三名居てる。
一人は二男の私が名前を継ぐことになった阿○家の母。
もう一人はその母の妹に当たる実母、ま、生みの親ですね(いわゆるおかん。)
最後はもちろんヨメの母。大阪からは270キロの彼の地で健在の祖祖父母とつれあいの祖父と暮らし、な何か有ったらいつも馳せ参じてくれる頼もしい存在。
で、近隣に住む母とヨメの母は自活しているので全く問題ないのだが、おかんは最近何故か二男の私たち家族と同居を始め、しかもちょっと物忘れが激しい。アア、ワタシハハハオヤニダッタノカ。それだけなら良いのだが、持ち前の我慢強さとひんまがった根性で、実姉のいうことはそもそも聴かないし、実の我が子(俺)には良い顔ばかりする。板ばさみはいつもヨメさんなのだが、四児の母は我慢強いものでデイケアやらを駆使して対抗する。
こういう時、外で働いてる風の男は肩身が狭いことこの上ない。判断のみで実行ができないのは尚のこと辛いが実行ばかりに比べれば、判断することでいくらかのストレスは免れる。
今回のヨメさんの体調悪化は明らかにこのストレス群との闘いだった。
まず奮闘するヨメが犠牲に。ストレスの少ない男(俺)はもちろんまだ元気。
ヨメと三男の二人は緩やかに回復しつつ次の犠牲者はおかん。
これまたオヤジの不在時にそのおかんが食事中に嘔吐。大惨事である。
救急に手慣れた元医療従事者のヨメが救急車を呼び事なきを得るが、軽い心筋梗塞なども考えられるとのことで検査の為にそのまま入院。救急車の後を追って病院に向かう俺。これも店休前日、ある意味幸運。
次は二男。
おそらく三男と同時期に掛かっていたか、あるいは三男のモノを頂いてきっちりムンプスウイルスに罹患。
ただこの辺りは絶妙の年齢だったようで、症状は軽微で学校休み得的な感覚で認定休。
最後は長男だが、「ほんまに罹ってる?」と疑いたくなるほどで、軽微な熱と耳下腺の痛みのみ。
家族とは別だが実はこの前後にスタッフ塩◯君がインフルエンザに。
日曜日午後から金曜日まではウイルス性ということもあり社会通念上キッチリ休んでもらう。

ああ、やれやれそれでも何とかなった。

ホッとしていると最後のビッグウエイブはそれこそ視界の遥か上方からやってきた。
ある火曜日、翌日は定休日で定休日明けには今月の振込やらを控えていたのでその準備に取り掛かり、新たな会社計画を練るその日の午後にその波は冷淡にもやって来た。
瞬時に砕け散りはじめた波の端は、その波が大き過ぎるが故に音もなくどこからともなく現れた感覚だが、実際にはソコニ居たのだ。
刹那、帰宅の判断をし実行。
店はスタッフ塩◎君へと託すが俺はまだその波のあまりの大きさを想像だにしていない。
二日後には通常業務をこなすそのイメージはあまりにも現実的過ぎリアルだが、正直太古から闘う相手を甘く見過ぎた俺。
帰宅した俺はおたふくで休学して暢気に3DSに興じる長男に一声かけ、傾れ込むように布団へともぐりこんだ。通常なら熱いくらいの厚着をして汗かいて一寝入りすれば、少しは楽に感じて翌朝には水やお粥程度は喉を通り始めるのだが、まったくその気配がない。
翌朝待っていたのはもちろん受診の判断で、まずインフルエンザを疑っていた。
ああ、厄介だ。インフルエンザなら前週に罹った塩◎君の手前、自分も5日は仕事を休まねば、、、
などと戯言を脳内リピートしていたのだが、そんな小さな言葉遊びは件の砕け続ける波が跡形もなく飲み込んでいく。
医療テクノロジーは劇的に進んでいて、待つこと数分でインフルエンザの陰陽判定が陰性を持って下された。
先般の言葉のリピートから次は疑問符が脳内を駆け巡る。
状況判断すれば簡潔極まりないこの状況でも、自分がムンプスに罹患しているこの事実を波間に漂う貝のごとく眼に入れても無駄と思うようにしているかのような俺。
そもそも俺はおたふくに罹ったことがあるはずだ、という理由なき「重いこんだら」は実は三男の入院時からあり、平気で世話を焼いていた。
ところがここから後の話になるが実際には入院中におかんから宣告があり、「あんたおたふく罹ってないから気いつけや」と。
どちらかというと「安心してください」の方が今回は良かったな〜などと考えつつ「今か〜い!?」とおかんに突っ込みを入れるのであるが、40度を前後する高熱の中では自虐ネタでのうすら笑いにさえならない。
今回は確認しなかった俺の若さゆえの過ちを認めようじゃないか、、、などと言っている場合ではなく、その間にも大波の波頭は砕け続けているのである。40度の高熱と果てしなく続く頭痛。
検査後、結果がまだ出ていないので完全なるおたふくの診断はまだ下せませんが、状況から判断するに間違いなく「おたふくです」との診断が無事に言い渡されても、言葉の現実味を帯びない感覚を持ったままの諦めの悪い俺は即入院を先延ばしにする。
検査の結果は翌日判る。
コカールという鎮痛剤を6時間おきに飲むが、効き始めるまでの20〜30分と、残り2時間からのカウントダウンは痛みと熱との闘いだった。来る波来る波大きいしぶきを上げて砕けていくが、火曜日から始まったそれは結局、翌日の入院の点滴開始後も改善はされたものの続く。しかし翌週の月曜日には担当医の鼻持ちならない面持ちは俺を憐れむかのような表情に変わった。もちろん内科医なのでこれまで嫌というほど同じような症例はあったのだろうが、あまりに憔悴しきった俺を見て週末の声の大きいだけの診断が、他人を思いやるかのような声に変化し、あるいは俺自身が下手なことを言うと何か行動に出かねないかのような表情に豹変していたのだろう。下手に出てきた。まあ、間違いなく俺はあらぬ恨みにも似た感情を眼に宿らせて担当医の話を聞いていたという自負もある。「2〜3週間この状態の場合もある」という診断の一言は俺にある覚悟を生んだといっても過言ではない。自転車、家族、お金、大事なものは沢山あるが、結局は言い古された言葉ではあるが命あっての物種という言葉が当てはまる。とにかく今置かれた現実を乗り越えない限り何も待っているものは無いのだ。
しかも今回の相手は勝つのがほぼわかっている相手で勝利は目前、ただ時間が、、、。
翌日の診断で無事に「おたふく」を言い渡され諦めのついた俺はやっとのことで重い腰を上げて入院を決断。その日はなんと雛祭り。
数えで三つになる四女のお祝いはオヤジに見守られる事無く滞りなく終了。
オヤジ無念。
そこからは夢か現実か判らぬ時間を96時間以上過ごす。とにかく頭が痛く身体に熱さをあまり感じない高熱だ。38〜40度をさまよう。汗を全くかかない、かけないのが非常に不快だ。
週が明け月曜日になるとやっと先ほどの猫なで声の診断だ。滞在時間2分。まだ熱がおさまって無いので抗体もできてない。点滴で栄養補給し漢方で基礎体温を上げ、痛い時はコカールで痛みを抑える。ただそれだけを告げに個室に来た。
発症して丸六日。
七日目、症状に変化が現れた。
痛みと熱に耐えるだけでなく、汗をかき始めたのだ。
やたら喉が渇く。それまでも殆ど食事は喉を通らず、水分補給のみで生活していたのが、それにやっとのことで加速がかかった。
唇もビタミン不足で花が咲いたように荒れ始めていたのだが、水分補給を始めると一旦さらに荒れ、お粥を取り始めることができるようになると蕾んで行った。
いずれにせよ汗をかけることのありがたみを感じつつ、数時間に一度は強制的に着替えなければならなくなった。
代謝が始まったのだ。
ということはリンパ系が仕事を終え、免疫を獲得し、今度はそいつらが仕事を始めてムンプスを排除し始めてるのだろう。
ヒトの体はすごい!とまだ高い熱にうなされながら感心するが、もうその頃にはうなされるのにも慣れ、うなされるから寝ないでおこうなどと起きていられもできるほど余裕もでてきた。