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こーちへの道

先日、日本体育協会公認平成27年度自転車競技コーチ養成講習会に参加してまいりました。
もちろんコーチング能力を上げることと公的な資格を得ることが目的です。
資格があるからまともなことができるかというとそうとも言えませんが、、、
今回偶然若いときにお世話になったメカニックの方にお会いしました。


ちなみに左は競輪選手の小嶋敬二選手です。

私がフィリピンのアジア選手権で優勝した時にお世話になったメカニックです。
1995年のオロンガポはスとービック基地跡で行われたロードレースです。
敵はアジアで敵なしのカザフスタン
中国は当時ラバネロでも走っていたタンさんが居ましたが、この大会には不参加でした。
代わりにと言っては何ですが、韓国のスプリンター勢、香港からは後にアジアンタイガーと呼ばれるワン・カンポー選手とカザフスタンからはビノクロフ選手が参加していました。
私の記憶違いかな?ほんまに「あの」ビノクロフ?
そう、そんな強豪の中、日本チームは個人の力というより、チームワークで勝利を手中に収めました。
日本からの参加は日本チャンピオン清野慶太選手、後のオリンピアン飯島誠選手・真鍋和幸選手。
高地トレーニングと暑さ順応を、当時監督だった大門宏さんのプログラムにより成功させて本番を迎えました。
そう、大門さんは当時から自身のサイクリストとしての能力をさておき、コーチとしての手腕を振るっていたのです。
当日の天候は曇り(だったかな)。
暑さは湿度によって助長され、ヨーロッパの選手が参加していたとしてもその能力を遺憾なく発揮できていたかというと疑問なほどの環境でした
選手権レースらしく周回コースのプロフィールではありましたが、心配されたのは赤道に近いその地理状況です。
レースは暑さの中逃げができたり潰れたりを繰り返しましたが、後半に的を絞っていた日本チームの思惑通りのレース展開が残り一周になって見事に的中しました。
まず動いたのはビノクロフ(だったかな)。
自信を持って動いた彼は非常にゴールから離れた距離での攻撃で、コース上ただ一つの登り坂ではすでに売り切れ状態になっていました。
登り口までは清野選手がエスコートし、私が頂上までに捕まえるという流れでした。
もし合流してゴールまで二人でたどり着いても最悪2位。
その逃げが潰れても後方には飯島選手と清野選手控えている。
さて、どうなったかというと、あえなくビノクロフは失速。私はゴールまで単独走行を余儀なくされました。
後ろでの展開は飯島選手や清野選手しか知る由はありませんが、結局ゴールには私がカラガラたどり着き優勝。
飯島選手もが4位ではありましたがオリンピック出場のための二枠目も手中に収めたのです。
これはそれまでのレース期を一緒にヨーロッパや日本で時間を共にし、意思の疎通ができていたからの賜物です。
国内選手権で勝って「わーアジア選出場だ!世界選出場だ!」と行った雰囲気でのその場だけのチームワークでは成し得なかった事実です。
今と当時では状況は違うでしょうが、唯一つ言えることはロードレースはチームワーク無くしては戦えないと言うことです。

まあそんなことはどうでも良く、そのアジア選手権で藤原さんにはレース前の散髪までしていただきました(爆)
メカニックの方々は器用でなければ務まりませんね。
今回はメカニックではなくコーチの資格を取るための講習会でしたが、結果は5月ごろかな。