全日本選手権で思った事

「真剣勝負の場」
こんなところで10数年も自分の居場所があった事が、今更ながらに改めて驚きと感慨が押し寄せていた。
先日、日本のロードレーサー(長距離自転車競技者)の日本一を決める競技大会が大分県は野津原(のつはる)の公道で開催された。
年齢と性別で数クラスに分けられた各レースが2日間の日程で行われる。
数年前までプロと男女計4クラスほどのアマチュアでの戦いのみだったと記憶するのだが、世界の競技界に準じようとする日本の競技界も随分と世界標準に近付いているし、そうしようとする競技連盟の努力も大変なものだろう。
特に公道レースともなると地元自治体や警察などの関係団体、もとより地元の方々の理解なくしての開催はあり得ない。
各界に自転車競技への理解と羨望が生まれる事を切に願う。

さて、久々にレースの会場に脚を運んでみると、まだまだ私の知った顔が多く居てた事に安堵した。
特にスタッフはそう変わらない。
キング(誰?)、ゴッド(だれ?)、ケンちゃん、クリちゃん、私直々の先輩を筆頭にそうそうたるメカニック達、ゴッドハンド(神さま何人?)筆頭にマッサージャー達、、、ああ、知り合いも某チームでマッサージャーとなっている。
レース界を支える選手は、長くなったと言えその寿命を終えるとレース界に残る事が多くはなかったのが慣例だったが、この数年、それこそ連盟の変化とリンクするように競技界の変化も著しい。
選手が選手生活を終え「はい、さようなら」ではなく、自転車競技や関連の世界で生きているのだ。
変わると言えば新規参入の方々が多くなり、見かけなかった顔が増えてもいる。
それにしても絶対数は少なすぎるくらいだ。
多くの自転車ロードレースファンが増え、そのまま根付いてくれればと願い、果たしてその一助になる何かを自分ができるか?という自問が一瞬頭をよぎる。

まあそれはさておき、日本一を決める会場というのは(他の競技界のそれは経験した事がないので解らないが)一種、独特の雰囲気がある。
私が全日本選手権に選手として参加し始めたのは19歳の頃だっただろうか?21歳か?
1990年日本で世界選手権が行われた年に宇都宮でプロとアマチュアが同時(或はタイムラグはあったかもしれないがあまりにも少な過ぎたので混走になってしまった)に走ったのだ。
その当時は右も左も解らない事だらけだったが、今となれば会場で選手を見ると、その雰囲気でこの選手は今日モノスゴク気が充実してるとか、この選手はダメだとかが大まかにではあるが解ってしまう。
今回の参加では本当にそれが良く解った。
特にチームの中で動くより、外から眺めていると、選手だけでなくスタッフの雰囲気も手に取るように解るので、そのチームがどんな体制でどれだけ力を注いでいるかということが肌で感じ取れる。
単騎で参加していても準備にぬかりなく参加していれば競技に対する集中力は自ずと高まるものだ。
自分でできないにしてもそれを演出してやるのはレベルの高低を問わずスタッフにとっては大事な事だなと感じた。
芝居じみてても良い、言葉と一緒で表現するという事は大事だなと。
そこで選手は集中力が高まり「何でもしてやる」という気力に溢れてくるのだ。

長文過ぎた。今日は疲れたのでこのへんで。